【特定社労士が斬る】令和7年度「個別労働紛争解決制度」から読み解く、企業が直面する3つの労務リスクと根本対策
- 坂の上社労士事務所

- 2 日前
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厚生労働省より、令和8年7月7日に「令和7年度 個別労働紛争解決制度の施行状況」が公表されました。「個別労働紛争解決制度」とは、個々の労働者と事業主との間で生じた労働条件や職場環境に関するトラブルを未然に防ぎ、迅速な解決を図るための行政制度です。具体的には、全国378か所に設置された「総合労働相談コーナー」での相談対応、都道府県労働局長による「助言・指導」、そして専門家を交えた紛争調整委員会による「あっせん」という3つのアプローチが用意されています。
令和7年度の総合労働相談件数は119万8,010件に上り、18年連続で100万件を超える高止まり状態が続いています。労働者の権利意識の高まりや、多様な働き方が浸透する中で、企業と労働者の間の摩擦は決して減少していません。
本記事では、この膨大なデータと具体的な事例を特定社会保険労務士の視点で分析し、現在の日本企業が抱える労務管理の課題と、今後の経営を左右する重要なヒントを「3つの視点」で深く解説します。表面的なデータだけでなく、法律の背景や政府の狙い、そして明日から実践できる課題解決の道筋を提示します。
1.14年連続トップ「いじめ・嫌がらせ」。法改正の裏に潜む「グレーゾーン」の恐怖
民事上の個別労働関係紛争における相談内容のトップは、14年連続で「いじめ・嫌がらせ」であり、55,614件(前年度比1.1%増)に上ります。
法定のパワハラとは「別枠」で5.5万件が存在する意味
ここで実務上、極めて重要な留意点があります。令和4年4月に全面施行された「改正労働施策総合推進法(通称:パワハラ防止法)」により、法的に定義されたパワーハラスメントに関する相談は、同法に基づく対応となるため、この「民事上の個別労働関係紛争(いじめ・嫌がらせ)」の件数には計上されていません。
法律上のパワハラとは、①優越的な関係を背景とした言動であって、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されるもの、という3要素をすべて満たすものを指します。
つまり、明確な法的パワハラは別で集計されているにもかかわらず、なお「いじめ・嫌がらせ」の相談が5.5万件も存在するという事実です。これは、法的定義には該当しない(あるいは該当するか曖昧な)同僚間の対立や、業務指導の範疇を少し逸脱したコミュニケーションの不一致などが、依然として職場に蔓延していることを示しています。
安全配慮義務違反のリスクと実務対応
令和7年度の助言・指導事例では、特定の同僚から無視されるなどの嫌がらせを受けた社員が会社に相談したものの、「小さな会社なので対応は難しい」と放置されたケースが報告されています。これに対し労働局は、会社には労働契約法第5条に基づく「安全配慮義務」があり、これに違反する可能性があること、さらに民法第715条の「使用者責任」を追及される可能性がある旨を指導しました。結果として会社は、職務態度の指導やレイアウト変更を実施することになりました。
また、あっせん事例においても、同僚からのいじめで休職に至ったケースに対し、会社側が社内調査の遅れなどを加味し、解決金20万円を支払うことで合意した事案があります。
【今後の見通しと課題解決策】
政府は企業に対して、単なる「ハラスメント相談窓口の設置」という形式的な対応以上のものを求めています。経営陣は「法律上のパワハラ要件を満たしていないから問題ない」という認識を直ちに改めるべきです。職場の人間関係の悪化を放置することは、最終的に企業の安全配慮義務違反や損害賠償に直結します。
ハラスメントの芽を早期に摘み取るためには、管理職に対する定期的なマネジメント研修の実施に加え、日頃から「心理的安全性」の高い組織風土を構築することが急務です。相談があった際は、客観的かつ迅速なヒアリングを徹底し、記録を残す仕組みを整えてください。
2.「労働条件の引き下げ」と「解雇」の急増が示す、企業経営の苦悩と法的手続きの厳格さ
次に注目すべきは、紛争が具体化した次のステージである「助言・指導」および「あっせん」における内容の変化です。
助言・指導の申出
「労働条件の引き下げ」が1,220件(前年度比10.6%増)で最多。
あっせんの申請
「解雇」が892件(前年度比12.6%増)で最多。また、「雇止め」も475件(前年度比9.7%増)と高い水準にあります。
安易な労働条件の変更が引き起こすトラブル
業績不振や事業構造の転換を理由に、企業が従業員の労働条件を切り下げたり、人員整理に踏み切ったりするケースが増加していることが伺えます。しかし、日本の労働法制において、これらを事業主が一方的に行うことは極めて高いリスクを伴います。
助言・指導の事例では、受注量の減少を理由に、事業主が1日当たりの所定労働時間を8時間から5時間に一方的に引き下げようとした事案がありました。これに対し労働局は、「労働契約の内容については労働者の合意なく一方的に変更することはできない」と明確に指導し、元の労働時間に戻させています。
また、あっせん事例では、月15日程度のシフト制で採用された短時間労働者が、実際には月10日未満しか勤務できなかったケースにおいて、会社側が解決金10万円を支払うことで合意しています。
労働契約法第16条の高いハードルと雇止めルール
解雇に関するあっせん事例では、同僚からのクレームを理由に短時間労働者を解雇したケースで、具体的な問題点の説明が不十分であったため、紛争の早期解決を図るとして10万円の解決金を支払う結果となりました。
日本の労働契約法第16条は、「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」と定めています。指導不足のまま「協調性がない」「能力が不足している」という抽象的な理由で解雇を強行すれば、不当解雇として撤回を求められるか、多額の解決金を支払うことになります。さらに、有期契約労働者の雇止めに関しても、長期間の雇用を期待させるような発言をしていた場合、能力不足を理由とする突然の雇止めは不当とされやすく、事例では解決金20万円が支払われています。
【今後の見通しと課題解決策】
人件費のコントロールに悩む企業は多いですが、労働条件の不利益変更には、労働者からの「自由な意思に基づく真摯な同意」か、就業規則の変更における「高度な合理性」が不可欠です。
問題社員への対応や業績悪化に伴う人員整理は、口頭での指導ではなく、必ず「指導記録(証拠)」を書面で残すことが重要です。段階的な改善機会(指導書の交付など)を与えた上で、まずは最終手段として解雇ではなく「退職勧奨(合意退職)」を目指すのが実務上のセオリーとなります。また、パートや契約社員の契約更新基準は、入社時の労働条件通知書に極めて具体的に明記し、期待値のコントロールを行うことが必須です。
3.あっせん制度の活用と合意率の実態。紛争解決の新しい潮流と企業防衛策
3つ目の視点は、トラブルが実際に起きてしまった後の「解決プロセス」についてです。都道府県労働局に設置されている紛争調整委員会によるあっせんは、弁護士や大学教授などの専門家が間に入り、話し合いを促進する制度です。令和7年度の新規申請件数は4,486件と増加傾向にあります。
裁判所に比べて費用がかからず、非公開で行われ、迅速な解決が見込めるため、労働者側にとって非常に使い勝手の良い制度となっています。実際に、処理終了件数4,220件のうち、3,064件(72.6%)が2か月以内に処理されています。
「不参加による打ち切り」の大きな落とし穴
あっせん制度は裁判のような強制力がないため、企業側が参加を拒否すれば「打ち切り」となります。令和7年度のデータでも、紛争当事者の一方が不参加だったために打ち切りとなったケースが2,006件(47.5%)に上ります。
一見すると、「参加しなければ逃げ切れる」と思う経営者の方もいるかもしれません。しかし、これは実務上、非常に危険な選択です。あっせんが不調に終わった場合、労働者は次のステップとして「労働審判」や「通常訴訟」へと駒を進める可能性が高まります。令和6年の労働審判事件の新受件数は3,359件、労働関係民事通常訴訟事件の新受件数は4,214件に上ります。労働審判や裁判に移行した場合、企業側は弁護士費用、経営陣の時間的拘束、そして企業ブランドへのダメージという多大なコストを支払うことになります。
参加した場合の合意率は約6割に達する
一方で、紛争当事者双方が参加してあっせんが開催されたケース(1,916件)における合意成立件数は1,141件です。これを計算すると、あっせん開催による合意成立率は58.4%に達します。前述の事例にもあるように、10万円から20万円程度の解決金(和解金)を支払うことで、禍根を残さず早期に紛争を終結させることが十分に可能なのです。
【今後の見通しと課題解決策】
政府の制度趣旨は、労使紛争を長期化・泥沼化させず、行政の枠組みの中で早期かつ円満に解決させることです。企業の実務担当者は、都道府県労働局から「あっせん開始通知」が届いた際、感情的に拒絶するのではなく、冷静に法的リスクと経済的合理性を天秤にかける必要があります。自社の対応に法的な不備(就業規則の未整備、指導記録等の証拠書類の欠如、初動対応の遅れなど)が少しでも見込まれる場合は、意地を張らずにあっせんに参加し、譲歩可能な範囲で適正な解決金を支払って早期解決を図るのが、最も経営ダメージを抑える「賢い選択」と言えます。
個別労使紛争を未然に防ぐ「強い人事」の構築へ向けて
加えて、退職にまつわる法的手続きの誤解もトラブルの要因です。会社の規程で「退職の1か月前に申し出ること」と定めていても、期間の定めのない労働契約においては、民法第627条第1項により、解約の申し入れから2週間を経過することで契約が終了するというのが法律上の原則です。就業規則と民法が乖離している場合、最終的には法律が優先されるケースが多く、事例3のように行政の助言によって希望日での退職を認めざるを得なくなります。こうした基礎的な労働法務の知識の欠如が、不要なトラブルを引き寄せています。
119万件を超える総合労働相談件数は、日本の職場で日々数多くのトラブルが発生している現実を突きつけています。SNSの普及や労働者の権利意識の向上により、従業員が泣き寝入りする時代は完全に終わりました。
法改正の動向や行政の指導方針を正確に把握し、トラブルが起きる前に就業規則を現代の実務に合わせてアップデートし、管理職を教育する。そして、日頃から客観的証拠となる労務記録を適正に残す仕組みを作る。これこそが、これからの時代を生き抜く企業の必須条件です。
行政の指導やあっせんを恐れるのではなく、それらを利用される前に組織を浄化し、ルールを明確にする「強い人事」を構築することが、最大の防衛策であり、企業の持続的な成長戦略そのものとなります。
「令和7年度個別労働紛争解決制度の施行状況」を公表します~総合労働相談件数は、引き続き100万件を超え、高止まり~(厚生労働省)
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