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源泉徴収票の税務署提出が不要に。令和8年分からの「みなし提出特例」がもたらす給与計算実務のパラダイムシフトと、専門家が読み解く行政DXの真意

  • 執筆者の写真: 坂の上社労士事務所
    坂の上社労士事務所
  • 20 時間前
  • 読了時間: 9分
みなし提出特例

日本の給与計算実務において、毎年1月は「法定調書の山」との格闘の時期でした。従業員一人ひとりの源泉徴収票を作成し、税務署には「源泉徴収票」を、市区町村には「給与支払報告書」をそれぞれ送付する。この、いわゆる「二重提出」の事務負担は、長年にわたり企業の総務・人事担当者、そして我々社会保険労務士を悩ませてきた「行政コスト」の象徴でもありました。

しかし、2026年(令和8年)4月、国税庁が公表した「源泉徴収票(給与所得・公的年金等)のみなし提出の特例に関するQ&A」は、この慣例に終止符を打つ決定打となります。令和9年1月1日以後に提出すべき令和8年分以降の源泉徴収票から、市区町村への支払報告書の提出をもって税務署への提出が完了したとみなされる「みなし提出の特例」が本格始動します。  

本稿では、この制度改正の背景にある政府の深謀遠慮を解き明かし、実務家が直面する細かな「変更の分岐点」を3つの視点から詳細に解説します。これは単なる事務の簡素化ではなく、日本が「デジタル・ガバメント」へと舵を切る中での必然的な進化なのです。


1.行政DXの深化と「二重行政」の解消:改正の経緯と政府の狙い

なぜ今、この特例が創設されたのでしょうか。その根底には、令和5年度税制改正で示された「納税環境の整備」と、マイナンバー制度を基盤とした行政データのシームレスな連携という明確な国家戦略があります。  


1.二重事務という「非効率」の抜本的見直し

これまで、企業は同一の内容を税務署と市区町村の二箇所に報告してきました。この仕組みは、国税(所得税)と地方税(住民税)の管轄が異なることに起因していましたが、デジタルの力でデータ共有が可能になった現代において、この事務を事業者に強いることはもはや「合理性を欠く行政負担」とみなされるようになりました。  


2.マイナポータル連携による国民の利便性向上

政府が強力に推進している「マイナポータル連携」による確定申告の自動化。これを完成させるためには、源泉徴収票データの迅速なデジタル化が不可欠です。支払報告書がeLTAXを通じて提出されることで、そのデータは市区町村から税務署へ連携され、さらにはマイナポータルを通じて国民の確定申告書へ自動反映されます。この「情報のワンストップ化」こそが、本特例の真の狙いです。  


3.行政リソースの最適化

税務署にとっても、紙ベースでの提出物や、バラバラに届く電子データの照合コストを削減できるメリットは多大です。市区町村からのデータ連携を主軸に据えることで、徴税コストを最適化し、より高度な調査・指導業務にリソースを集中させる意図が見て取れます。


2.実務の詳細解説:支払報告書一枚で完結する「みなし提出」の全容

今回の改正で最も注目すべきは、「提出範囲の統一」です。これまで「税務署に提出する源泉徴収票」と「市区町村に提出する支払報告書」では、提出すべき対象者の基準が異なっていました。これが実務を複雑にしていた最大の要因でした。

1.源泉徴収票の提出範囲が「支払報告書」に合わせられる

令和8年分以降、源泉徴収票の提出範囲が、原則として支払報告書の提出範囲に揃えられます。  

  • 改正前の給与所得の源泉徴収票(一部抜粋)

    • 年末調整をした法人の役員:150万円超   

    • 年末調整をした一般従業員:500万円超   

    • 乙欄(申告書なし):50万円超   

  • 改正後の提出範囲

    • 「年の中途で退職した者に対するその年中支払額が30万円以下である場合を除くすべての給与等」へと大幅に拡大・統一されました。  

この変更により、「これは税務署用、これは市区町村用」と振り分ける作業が不要となり、事務の簡略化が図られます。ただし、範囲が拡大したことで、これまで税務署には提出していなかった低所得層や一般社員のデータも、実質的に「みなし提出」として税務当局の把握対象となる点は留意が必要です。  


2.公的年金等における変更

給与所得だけでなく、公的年金等についても同様の措置が取られます。

  • 改正前は「60万円超」や「30万円超」といった基準がありましたが、改正後は「すべての公的年金等」(年の中途で死亡した者を除く)が対象となります。  


3.「みなし提出」が成立する条件

この特例を享受するためには、市区町村に対して「源泉徴収票に記載すべき一定の事項」が含まれた支払報告書を提出する必要があります。もっとも、Q&Aによれば、支払報告書の記載事項には源泉徴収票の必要事項がすべて含まれているため、これまで通り法令に基づいて支払報告書を作成・提出すれば、自動的に要件を満たすことになります。  


3.「法定調書合計表」と「電子提出義務」の意外な盲点

制度の表面的な理解だけでは、実務上の重大なミスを誘発しかねません。特に「合計表の提出要否」と「電子提出義務の判定」には注意が必要です。

1.合計表の提出は「不要」になるが「条件付き」

最大のインパクトは、給与所得の源泉徴収票のみを扱う多くの事業者にとって、「給与所得の源泉徴収票等の法定調書合計表」の税務署への提出が不要になることです。  

  • 不要となるケース

    給与所得の源泉徴収票について、すべて市区町村へ支払報告書を提出(みなし提出)した場合。  

  • 必要となるケース

    退職所得の源泉徴収票、報酬等の支払調書、不動産等の支払調書など、給与所得以外の法定調書を税務署に提出する場合。  

この際、合計表の様式自体は共有されているため、提出する場合には「実際に税務署に提出する項目」のみを記載し、みなし提出となった給与所得欄の記載は不要となります。この「一部のみ記載」という運用は、従来の実務慣行とは異なるため、入力ミスや記載漏れとして誤解されないよう注意が必要です。  


2.電子的提出義務の「30枚判定」のルール

法定調書をe-TaxやeLTAXで提出しなければならない義務の判定についても、特例が設けられています。

  • 判定基準:基準年(前々年)に提出すべきであった法定調書の枚数が30枚以上 。  

  • 判定の罠:「令和8年分を税務署に出していないから0枚」とはなりません。判定に用いる枚数は、「(みなし提出分を含め)改正前の提出範囲に当てはめた場合に、税務署へ提出すべきであった枚数」で数えることになっています。  

例えば、令和11年の提出義務を判定する際、基準年となる令和9年に「みなし提出」によって税務署への物理的な提出が0枚であっても、その50枚のデータが改正前の基準で「提出範囲内」であれば、30枚以上の基準に該当し、電子提出が義務付けられます。この判定基準を誤ると、意図せず電子提出義務違反となる可能性があるため、社労士等の専門家による精緻な枚数管理が求められます。  


実務上の重要Q&A:現場が直面する疑問への回答

国税庁のQ&Aには、実務担当者が真っ先に抱くであろう疑問への明確な回答が並んでいます。

  • 中途退職者の扱いは?

    原則として退職後1月以内に提出が必要ですが、実務上は翌年1月末までに他とまとめて提出する運用が認められています。したがって、令和8年中に退職した従業員分も、令和9年1月1日以降に提出するなら本特例の対象に含まれます。  

  • 受給者本人への交付は?

    税務署への提出が不要になっても、従業員本人への源泉徴収票の交付義務は消滅しません。ここは誤解が非常に多いポイントです。紙、あるいは承諾を得た上での電子交付を継続する必要があります。  

  • 誤りに気づいた場合の訂正は?

    一度「みなし提出」が成立した後に内容を訂正する場合、市区町村に対して訂正後の支払報告書を提出すれば、それも「みなし提出」として税務署に連携されます。税務署に対して別途「無効分」や「訂正分」を送付する必要はありません。  

  • 税務署から通知は来るのか?

    「あなたのみなし提出を受理しました」という通知が税務署から届くことはありません。eLTAXで提出した場合の「申告受付完了通知」をエビデンスとして保管することになります。  


デジタル・ガバメントの完成形と社会保障との連携

今回の改正は、単なる税務手続きの統合に留まりません。社労士の視点で見れば、これは「給与情報のリアルタイム・ワンデータ化」への序章です。

1.住民税決定通知書の電子化とのシナジー

現在、住民税の決定通知書も電子化が進んでいます。今回の特例により入り口(支払報告書)がデジタル化されることで、自治体側の処理速度も向上し、企業側での住民税更新作業がよりスムーズになることが予想されます。

2.社会保険事務とのデータ共有の可能性

現在は税と社会保険のデータは依然として別々に運用されていますが、今回の「みなし提出」の成功は、将来的に算定基礎届や月額変更届といった社会保険関連の届け出を、給与データから一気通貫で行うシステムの構築に向けた試金石となるでしょう。

3.「見えないコスト」の可視化

事務負担が軽減される一方で、税務当局が把握する情報の密度は飛躍的に高まります。「みなし提出」により、従来は提出範囲外だった所得データも網羅的にデータ化されるため、適正納税のプレッシャーは一層強まります。企業には、より正確で透明性の高い給与計算体制が求められるようになります。  


経営者と実務担当者が今、準備すべきこと

令和8年(2026年)は、日本のバックオフィス業務において歴史的な転換点となります。この変化を「楽になった」だけで終わらせるのではなく、自社のDX(デジタルトランスフォーメーション)を加速させる契機とすべきです。

  1. eLTAXへの完全移行

    「紙」や「光ディスク」での提出も可能ですが、マイナポータル連携等のメリットを最大限に受けるにはeLTAXが不可欠です。  

  2. 電子提出義務の正確な把握

    30枚判定の変則的なルールを理解し、システム改修や事務フローの変更が間に合うよう、早めのシミュレーションが必要です。  

  3. 専門家との連携強化

    法定調書合計表の記載方法の変更など、細かな実務判断が必要な場面が増えます。社労士や税理士といったプロフェッショナルとの連携を密にし、法改正の波に乗り遅れない体制を整えてください。

行政は、我々が想像する以上のスピードでデジタル化を推し進めています。本特例の開始を、単なるルーチンワークの変更と捉えるか、攻めの経営・管理体制への進化と捉えるか。その視点の差が、これからの時代を生き抜く企業のレジリエンス(適応力)を決定づけるのです。


源泉徴収票(給与所得・公的年金等)のみなし提出の特例に関するQ&A(国税庁)


源泉徴収票のみなし提出の特例 特設ページ(国税庁)


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