【社長・人事担当者 必読】賃上げ率4.4%の真実。9割の企業が見落とす「法的・財務的」落とし穴
- 坂の上社労士事務所
- 2 日前
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厚生労働省は令和7年10月14日、「令和7年 賃金引上げ等の実態に関する調査の概況」を公表しました。この調査は、全国の民間企業における賃金の改定状況を明らかにするもので、常用労働者100人以上を雇用する1,847社の有効回答を集計したものです。
発表によると、1人平均賃金の改定率は4.4%、改定額は13,601円となり、比較可能な1999年以降で過去最高を記録しました。また、賃上げを実施した企業の割合は91.5%にのぼり、4年連続の増加となります。
この歴史的な賃上げの動きを、私たちはどう捉えるべきなのでしょうか。今回は、厚生労働省の資料をもとに、この重要なトピックを社労士前田の視点から分かりやすく解説していきます。
1.賃上げ後に潜む「3つの法的落とし穴」とその対策
令和7年の「過去最高」の賃上げは、従業員の意欲を高める絶好の機会です。しかし、その進め方を誤ると、後々大きな労務トラブルに発展しかねません。ここでは、経営者が知っておくべき法的なポイントを3つに絞って分かりやすく解説します。
① ルールブック(就業規則)の更新は絶対!
賃上げは、会社の「給与計算の土台」を変更する重要な行為です。会社の公式ルールブックである就業規則や賃金規程に、変更内容を正確に記載しておかなければ、「言った・言わない」のトラブルの原因になります。
★ポイント1 何のお金を上げたのかを明確にする
・「基本給」を上げると、残業代や賞与、退職金の計算額も自動的に上がります。会社全体への影響が非常に大きいのが特徴です。
・「手当」として支給する場合、特定の役割や条件下でのみ支払われる為、影響範囲を限定できます。
・この区別をルールブックに明記しておかないと、将来退職した従業員から「この手当も基本給として退職金を再計算してほしい」といった訴訟を起こされるリスクがあります。
★ポイント2 評価と給料の連動ルールを具体的に書く
・従業員の頑張りを給料に反映させる「業績評価」は有効ですが、その評価の「ものさし」をルールとして明確に定める必要があります 。
・「誰が」「何を」「どのように」評価し、「その結果が、どう給与に結びつくのか」という具体的なプロセスを書き記しておくことが不可欠です。
・このルールが曖昧だと、従業員から「評価が不公平で納得できない」という不満や訴訟に繋がりかねません。
② 「同じ仕事なら、待遇も同じ」が大原則
「パートだから」「契約社員だから」といった雇用形態の違いだけで、正社員との間に待遇の差を設けることは、法律(同一労働同一賃金の原則)で厳しく制限されています。
★ポイント 待遇に差をつけるなら「納得できる理由」が必須
・正社員の賃金だけを引き上げた場合、他の従業員から「なぜ私たちの給料は上がらないのですか?」と問われることになります。
・もし待遇に差を設けるのであれば、業務内容、責任の範囲、転勤の有無など、誰が聞いても客観的に納得できる合理的な理由を説明できなければなりません。
・この説明責任が果たせない場合、非正規雇用の従業員から過去にさかのぼって賃金の差額分を請求されるという、経営に大きな影響を与えるリスクがあります。
③ 交渉の場では「データ」がものを言う
「賃上げ率4.4%」といった公的な調査結果は、労働組合にとって自社の要求を正当化する為の強力な「交渉カード」となります。
★ポイント1 感情論ではなく「数字」で誠実に応える
・労働組合は「世間ではこれだけ上がっているのだから、わが社も同等以上に」と、客観的なデータを根拠に交渉を進めてきます。
・これに対し、会社側が「経営が厳しい」といった抽象的な説明だけで応じるのは得策ではありません。財務状況などの具体的なデータを示し、誠実に話し合うことが法律で義務付けられています(誠実交渉義務)。
★ポイント2 交渉力の差が賃上げ額の差に直結する
・実際に、労働組合がある企業の賃上げ額(15,229円)は、ない企業(11,980円)よりも明らかに高いという結果が出ています。
・不誠実な対応は、ストライキといった大きな労使紛争に発展するリスクもはらんでいます。
・結論として、賃上げは勢いだけでなく、法的な視点に基づいた計画的なルール整備が成功のカギを握ります。将来の不要なトラブルを回避するためにも、賃上げ計画と同時に、就業規則の見直しなどの法的準備を進めることが賢明です。
2.賃上げの財務インパクトと賢い経営判断
賃上げは従業員にとって喜ばしいことですが、経営者にとっては会社の「お金」に直接関わる重大な決断です。ここでは、税金や資金繰りの観点から、知っておくべき3つの重要なポイントを分かりやすく解説します。
① 「賃上げ促進税制」はご褒美であって補助金ではない
「賃上げ促進税制」は、頑張って賃上げをした企業への税金割引サービスのようなものです。前年より多く払った給与額に応じて、納める法人税や所得税を安くしてくれます。特に、調査でも賃上げ理由のトップだった「企業の業績」が良い会社ほど、この割引の恩恵は大きくなります。しかし、注意点があります。
・後からのキャッシュバック
この制度は、賃上げで増えた支出を直接補填してくれるわけではありません。あくまで、決算後に支払う税金が安くなる「後からのご褒美」です。毎月の給与支払いが楽になるわけではないので、勘違いしないようにしましょう。
・赤字では使えない
税金を納めている黒字企業でなければ、そもそも割引してもらう税金がありません。業績が「悪い」と答えた企業(13.1%)など、経営が苦しい会社にとっては活用が難しい制度です。
② 賃上げは社会保険料という固定費も増やす
給与を上げると、従業員と会社が半分ずつ負担する社会保険料も自動的に増えます。これは、電気代や家賃のように毎月必ず出ていく「固定費」です。
・利益を圧迫するじわじわコスト
売上が良い月も悪い月も、社会保険料は容赦なく引き落とされます。賃上げによってこの固定費が増えると、会社の利益は確実に圧迫されます。目先の賃上げ額だけでなく、この「隠れたコスト」が将来の資金繰りにどう影響するか、長期的な視点で計画することが極めて重要です。
・賞与支払い月は特に注意
夏の賞与を支給する企業は88.4%にのぼりますが 、賞与からも社会保険料は引かれます。賃上げが賞与にも反映されると、その月の現金支出は想像以上に大きくなるため、資金ショートを起こさないよう備えが必要です。
③「ヒトへの投資」と「モノへの投資」の最適なバランス
会社の成長には、従業員のやる気を引き出す「ヒトへの投資(賃上げ)」と、仕事の効率を上げる「モノへの投資(設備投資)」の両方が不可欠です。限られた資金をどう振り分けるかが、経営者の腕の見せ所です。
・相乗効果を生む組み合わせ
理想は、「良い設備で仕事が楽になり、利益が出る→その利益で給与も上がり、やる気も出る→やる気が出た社員が良い設備を使いこなし、さらに利益が出る」という好循環を作ることです。
・使える制度はフル活用
この好循環を後押しするために、国は様々な支援策を用意しています。「賃上げ促進税制」でヒトへの投資をサポートしつつ、「ものづくり補助金」や「IT導入補助金」などでモノへの投資を支援してもらうなど、複数の制度を賢く組み合わせることが成功のカギとなります。これにより、会社の負担を減らしながら、成長と待遇改善を両立させることが可能になります。
3.賃上げの裏側にある3つの「企業の現実」
「過去最高の賃上げ」という明るいニュースの裏で、多くの企業は厳しい現実に直面しています。これは単なる景気回復の証ではなく、深刻な人手不足の中で企業が生き残りをかけて下した、切実な経営判断の表れです。ここでは、その背景にある3つのポイントをデータと共に解説します。
① これは「賃上げ」ではなく「人材の引き留めコスト」である
賃上げ理由の第2位は「労働力の確保・定着」で17.0%を占めます。これは、多くの経営者が「給与を上げなければ、人が辞めてしまう。新しい人も採れない」という強い危機感を持っていることの証左です。
・守りの賃上げ
企業の業績が「悪い」と回答した企業が13.1%存在する中で、賃上げは必ずしも攻撃的な投資ではありません。むしろ、これ以上人材が流出して事業が立ち行かなくなることを防ぐための「防御コスト」、つまり企業の存続を賭けた延命措置としての側面が色濃く出ています。
・採用競争の激化
人材獲得競争が激化する中、他社に見劣りしない賃金水準を提示することは、採用活動の最低条件となりつつあります。つまり、多くの企業にとって賃上げは選択肢ではなく、生き残る為の必須条件となっているのです。
② 「自動賃上げ装置」としての定期昇給
今回の「歴史的賃上げ」には、多くの企業が以前から導入している「定期昇給(定昇)」という仕組みが大きく影響しています。これは、毎年自動的に給与が上がる仕組みです。
・ほとんどの企業が定昇を実施
調査対象企業のうち、81.2%が「定昇制度あり」と回答し 、そのうち94.6%が実際に定昇を「行った・行う」としています。つまり、多くの企業では、世間の賃上げムードとは関係なく、毎年給与が上がるのが通常運転なのです。
・ベアとの違い
本当の意味での賃上げ、つまり給与水準そのものをき上げる「ベースアップ(ベア)」を行った企業は、定昇制度がある企業のうち57.8%に留まります。これは、定昇制度を持つ企業の4割以上は、世間で騒がれているような積極的な「ベア」には踏み切らず、従来の定期昇給のみで対応した可能性があることを示唆しています。
③ 「要求」あるところに賃上げあり
賃上げ額は、従業員が声を上げるかどうかに大きく左右される、という厳しい現実もデータに表れています。
・交渉力の差が賃金額の差に
労働組合がある企業の平均賃上げ額が15,229円(4.8%)であるのに対し、労働組合がない企業は11,980円(4.0%)に留まっています。この約3,000円の差は、団体交渉という「要求する力」がいかに重要であるかを物語っています。
・要求が交渉を生む
実際に、労働組合がある企業のうち78.3%で組合からの「賃上げ要求交渉があった」と回答しており、この要求が企業の意思決定に直接的な影響を与えていることは明らかです。これは、従業員の待遇改善が、必ずしも経営者の自発的な判断だけでなく、外部からの働きかけによって引き出されるという現実を浮き彫りにしています。
結論として、今回の賃上げは、人手不足という構造的な課題を背景に、企業の防衛的な判断や既存の制度、そして労使間の力関係が複雑に絡み合って生まれた結果です。その華やかな数字の裏にある企業の必死の努力と課題を理解することが、今の日本経済を正しく読み解く鍵となります。
*ご参考:令和7年 賃金引上げ等の実態に関する調査の概況(厚生労働省)
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